だって、Gaboくん元気です 望郷編

故郷 焼津に住まいして、なにをしようか?

建国記念の日

 建国記念日?、、建国記念の日

まぁ、祝日に変わりない。

パソコンデスク上のカレンダーには

建国記念日」って記載。

焼津市民カレンダーには

建国記念の日」って書かれてます

正直なところ

全く、考えたことありませんでした。

 

 この祝日って、なんの日?

子どもたちに伝えるにはどうしよう

そんなこと思う祝日から

建国記念の日」は外れてましたねー

これからも変わりありません、たぶん。

 

 

 

 

 

2月11日は「建国記念の日」。「建国記念日」との違いは?正しい意味を子ども向けに説明する方法も

2月の祝日である「建国記念の日」。しかし、普段の会話では「建国記念日」と、“の”を入れずに使っている方も多いかもしれません。では「建国記念の日」と「建国記念日」の2つの違いは何なのでしょうか?それぞれの意味や、建国記念の日はいつなのか、祝日の由来と歴史についてもご紹介しましょう。

建国記念の日」はいつ?

建国記念の日」は、日本で祝日となる日。毎年2月11日が「建国記念の日」と定められていて、この日づけが毎年変わることはなく、2月11日が「建国記念の日にあたります。

ちなみに、2月には「建国記念の日」の祝日以外に、2月23日も祝日になります。これは第126代天皇徳仁陛下の誕生日を祝う日。2019年5月1日の第125代天皇明仁陛下の退位によって、それまでの天皇誕生日であった12月23日から、新天皇の誕生日である2月23日に天皇誕生日が改められました。

建国記念の日は、法で定められた祝日

日本の祝日は、「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)」で定められています。

この中で「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と記述され、日付については「政令で定める日」とされています。この「建国記念の日となる日を定める政令」については、昭和四十一年政令第三百七十六号で「建国記念の日は、二月十一日とする」と記され、昭和41年に制定されました。

建国記念の日」と「建国記念日」は意味が異なる

私たちの普段の会話では、「明日は建国記念日でお休みだよね」などと話しているかもしれません。しかし、「建国記念の日」と「建国記念日」は、どちらが正しいのでしょうか?

多くの人は「建国記念の日」と「建国記念日」を同じ意味で使っていると思いますが、正しくは別の意味となります。

日本の法律で定められた2月11日の祝日は「建国記念の日」であって、「建国記念日」ではありません。子どもにも「建国記念日」と教えてしまいそうですが、「建国記念の日」と正しく教えられるように注意したいですね。

『の』が入った、日本の「建国記念の日」とは

現在、毎年2月11日に定められている祝日「建国記念の日」とは、どんな意味があるのでしょうか。

 

歴史や由来

2月11日が「建国記念の日」と定められたのは、昭和41年(1966年)のことです。なぜ2月11日になったのかというと、日本の初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位した日をもとにしています。

古事記日本書紀では、神武天皇の即位は紀元前660年1月1日と記述されていたそうです。この日付は古代で使われていた旧暦だったため、現在も広く世界中で使用されているグレゴリオ暦に換算された結果、現在の2月11日が神武天皇の即位日であるとわかり、この日を「建国記念の日」としたのです。

ちなみに神武天皇は、日本に伝わる数々の伝説や神話に登場する人物。日本神話に登場する天照大神(あまてらすおおかみ)の五世孫とされています。しかし、実際には、日本の建国日は明確ではないため、古事記日本書紀の神話からその日を導いていますが、それらのすべてが史実に基づいているとは考えられていないようです。

子どもに簡単に説明するには?

子どもに2月11日の休みを聞かれたときに、建国記念の日」の意味をどのようにわかりやすく説明すればいいでしょうか?よくありがちな間違いは「日本という国ができた日だよ」という説明。

しかし、「建国記念の日」の由来で説明したように、「建国記念の日神武天皇が即位した日」であって、日本という国ができた日ではありません。日本という国ができた正確な日がはっきりとわかっていないため、正しくは「日本という国ができたことをお祝いする日」。だから子どもへの説明でも、「日本ができたことをお祝いする日だよ」と教えてあげるといいでしょう。

『の』がない「建国記念日」とは

では、間違いやすい「建国記念の日」と「建国記念日」の違いについて見てみましょう。これを紐解くと、日本でこの祝日が制定された歴史をさかのぼることになります。

日本は「建国記念の日」になった理由

2月11日が「建国記念の日」に制定される昭和41年(1966年)までは、この日は、神武天皇が即位した日を記念する、「紀元節」と呼ばれる祝日でした。これは明治6年1873年)に定められたもので、毎年2月11日になると各地で紀元節祭が開かれ、人々は国の紀元を祝ってきました。

しかし第二次世界大戦が終わり、GHQ(連合国軍司令部)が日本を統治するようになると、GHQは初代天皇の即位から定められた「紀元節」によって、天皇を崇拝する日本国民が団結力を高めるのではないかと危惧するようになりました。そしてGHQの意向により、昭和23年(1948年)に紀元節は廃止されることとなったのです。

廃止となってからも、たびたび国民の中から「紀元節」を復活させる声が高まり、多くの議論が繰り広げられることとなったのです。その中には、「日本の国の正確な起源はわかっていないため、建国を記念する日は定められない」という意見や、紀元節の復活そのものに反発する意見などもあったそうです。しかし、日本人の多くが建国を記念する日を望んでいることから、紀元節を復活させることが決まりました。

そして、2月11日は「日本の国が成立した正確な日ではない」ことや、神武天皇は神話の中に登場する人物であり、実在の人物ではないことから、“建国を記念する日”として「建国記念の日」が昭和41年(1966年)に成立したのです。建国記念日」とは呼ばずに「建国記念の日」と呼ぶのは、史実にもとづいて建国した日そのものを記念するわけではなく、日本が建国されたことを祝う日だからです。

諸外国の建国記念日

ちなみに日本以外の国々では、ほとんどの国で「建国記念日」が制定されています。

例えばアメリカでは、イギリスによって統治されていた時代から1776年に独立宣言を行った日を「独立記念日」として、毎年7月4日にお祝いします。アメリカの独立記念日は「インディペンデンス・デー」とも呼ばれ、花火が打ち上げられるなど特に盛大に祝福を行う日です。

またフランスでは、フランス革命のシンボルとも言えるバスティーユ牢獄の襲撃事件が起きた1789年7月14日を由来に、毎年7月14日が記念日として制定されています。日本では「パリ祭」という名前で知られています。

中国の建国記念日は、10月1日の「国慶節(こっけいせつ)」です。1949年10月1日に、毛沢東により中華人民共和国の成立が宣言された日で、中国ではこの国慶節から1週間は連休となります。

このように、かつて外国から統治されていた歴史がある国などは、そこから独立した日が「建国記念日」として定められていることが多いようです。

建国記念の日は、どのように過ごしますか?

2月11日の「建国記念の日」には、日本各地でこの記念日を祝う行事が開かれています。

その中でも大きなイベントのひとつが、建国記念の日奉祝パレード。東京の神宮外苑銀杏並木通りから原宿や表参道をめぐり、明治神宮の前まで盛大なパレードが繰り広げられます。首都圏の大学吹奏楽団による演奏や、ブラスバンド、チアリーディング、御輿などが登場し、華やかに建国記念の日を祝います。

また、このような行事に参加しなくても、日本の歴史にまつわる書籍を手にしてみたり、親子で歴史に関する博物館に出かけてみたりするのもステキですね。「日本はどうやって成り立ってきたのだろう…」親子でそんな会話を楽しむのも、建国記念の日ならではの過ごし方になるかもしれません。

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建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」なわけ

2月11日は「国民の祝日に関する法律」で定められた国民の祝日のひとつ建国記念の日
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として1966(昭和41)年に定められました。

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この日は、明治時代にあった祝祭日「紀元節きげんせつ」が元になっています。

◆初代の天皇、ご存じですか?

紀元節」とは明治時代、日本書紀で初代天皇とされる神武じんむ天皇が即位された日にちなんで定められた祝祭日です。

神武天皇は日本国を建国した“初代”の天皇であり、天照大御神の五世孫で、現代につながる“祭祀の原型”を形作られた天皇でもあります。

言うならば、日本の伝統や文化すべてに通じる“精神性の基”を形作り、内外に示された「はじまりの天皇

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古事記』や『日本書紀』に記され伝えられた皇室の創始に纏わる様々な伝承は、日本の国体として連綿と受け継がれ、その美風は時代を超えて研ぎ澄まされてきました。

今も毎年神武天皇崩御日である4月3日には、「神武天皇祭」として宮中の皇霊殿こうれいでん神武天皇陵にて祭儀が執り行われます。
その日の夕方6時から、深夜12時すぎまで6時間にも及ぶ大々的な神楽の奉納式皇霊殿御神楽こうれいでんのみかぐらが納められ、極めて丁重な様式で祭儀が執行されます。

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◆「建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」な理由

そんな大事な神武天皇の即位、すなわち日本国の建国を国民全員で祝った「紀元節」ですが、終戦後の1948(昭和23)年、GHQの意向により祝祭日ではなくなりました。

この衝撃的な改変の後、すぐに国民の間で紀元節を復活させよう」という動きが高まりました。

祖先から受け継いだ大事な心を守りたいと、9回(!?)もの議案提出・廃案を経て、念願が叶ってようやく1966(昭和41)年に国民の祝日に追加されました。

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ところがその際に追加されたのは、待ち望まれた紀元節」の再興ではなく、「建国記念“の”日」という名前の祝日でした。

無念の改正となりましたが、「建国記念日」ではなく「建国記念“の”日」となっているのは、“「建国された」事実そのもの”

つまり、「初代 神武天皇の即位より連綿と続く126代の皇統と、日本国の建国をお祝いする日である」という考えに基づいているからなのです。

◆「天皇誕生日」と四大節しだいせつ

2月には令和の御代からもうひとつ祝日が増えました。
2月23日は今上陛下の生誕を祝う「天皇誕生日」です

この「天皇誕生日」には、神宮をはじめ各地の神社で「天長祭」が執り行われ、陛下の御誕生日をお祝いして、御長寿並びに国民の平安をお祈りします。

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私たちが平成時代、長く「天皇誕生日」として親しんだ12月23日は、上皇陛下のお誕生日ということで令和の御代の幕開けとともに変更となりました。

戦前、在位中の天皇の誕生日は「天長節てんちょうせつ」と呼ばれ、国民と天皇が共にある象徴の儀式「四大節」の一つとして、国民を挙げて盛大に奉祝の催しが行われてきました。
先程あがった「紀元節」も、そのひとつ。

1月1日の元日に宮中で行われる「四方拝しほうはい」、11月3日・現在の文化の日である「明治節」と共に、四大節として盛大に奉祝されていました。

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当時の日本人に「四大節」がどれだけ大切に思われていたかは、戦後に国が国民に行ったアンケート結果からも伺えます。

「残してほしい祝日」のアンケート結果のベスト3を四大節が独占(1位・四方拝 2位・天長節 3位・紀元節)しているのです。

日本人にとって大切なことを思い出させてくれる四大節
国の“はじまり”に通じるこれらの祝祭日は、長い歴史をかけて守り育んできたものの原初を示し、国家のもといとなる精神性や日本文化の世界観にも通じる大切なもの

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建国記念の日」や「天皇誕生日」には、こういった「日本という国が大切にしてきたもの」に思いを馳せる時間を持ちたいものです…🍵

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