だって、Gaboくん元気です 望郷編

故郷 焼津に住まいして、なにをしようか?

祝 世界一侍ジャパン

  WBC 世界制覇おめでとうございます。

盛り上がり方が半端なく

子どもたちは、日頃、野球観戦などすることないのに

TVのまえに陣取って、応援してましたよ

本来、もっと地味な展開が想定されるスポーツ

ところが、興行師がいるような

プロレス的な起承転結

出場選手それぞれ個性を発揮する役者のようにも見えました。

主役はハリウッドスターで

脇役を演じているのも超一流

その味わいは、主役の活躍を吹っ飛ばすくらいの実力。

 

 栗山監督以下、コーチ陣も

個性派俳優を仕切ってのこと

大変なご苦労だったと思います。

「おつかれさまでした」

「そして、感謝です」

 

 栗山監督を支えた白井一幸ヘッドはどんな人物? 

理想のタイプの変遷からわかる「藤谷美和子」の影響

指導モットーは「怒らず励ます」「教えず考えさせる」だという白井一幸ヘッドコーチ(時事通信フォト)

指導モットーは「怒らず励ます」「教えず考えさせる」だという白井一幸ヘッドコーチ(時事通信フォト)

白井一幸ヘッドコーチが「理想のタイプ」と語っていた藤谷美和子(2002年撮影)

白井一幸ヘッドコーチが「理想のタイプ」と語っていた藤谷美和子(2002年撮影)

 

 侍ジャパンワールド・ベースボール・クラシックWBC)で3大会ぶりの優勝を果たした。選手を信じ続けた栗山英樹監督、宮崎での強化合宿からチームをまとめたダルビッシュ有、投打の活躍でMVPを獲得した大谷翔平を始め、ひとり一人がそれぞれの役割を果たし、一丸となって勝ち取った世界一だった。その中で、監督や選手を陰で支えた白井一幸ヘッドコーチ(61)とはどんな人物なのか。(※文中敬称略、所属や名前などは当時)

「世界一を考えないことだと思います。今日とにかく一生懸命頑張ることの積み重ねだと思う」──宮崎合宿で「世界一になるために何が必要か」と聞かれたダルビッシュはそう答えた。この考え方を白井ヘッドも持っていたと窺える発言が残っている。

 名門・駒澤大学でキャプテンを務めた白井は、1983年秋のドラフト1位で日本ハムに入団。4年目にはベストナインゴールデングラブ賞に輝き、1994年にはセカンドの連続守備機会無失策のパ・リーグ記録を樹立するなど名手として鳴らし、1996年限りで現役を退いた。引退後、母校である志度高校の講演会で現役時代をこう振り返っていた。

〈プロ選手の13年間、1日も休まず素振りを続けるという自分への課題を守れたことが一番うれしい〉(2004年12月22日・朝日新聞

 最高の歓喜は試合ではなく、練習という過程をやり遂げたことにある。白井やダルビッシュのような一流選手はそう考えるのだろう。

 白井は1997年から2年間、日本ハムの育成部に籍を置きながらニューヨーク・ヤンキースにコーチ留学。1998年オフにはヤンキースから1Aの監督を打診されるほど、その指導力人間性が評価されていた。

 指導モットーは「怒らず励ます」「教えず考えさせる」だという。2013年、評論家として同い年の日本ハム・栗山監督と対談した際には、就任1年目の前年パ・リーグを制覇した名将をこう評していた。

スポーツ界は体罰が問題視されていますが、選手の力を引き出す環境づくりに力を尽くすタイプ。これから求められる指導者像だと思います〉(2013年2月15日・北海道日刊スポーツ )

 翌年、白井はコーチとして7年ぶりに日本ハムに復帰。栗山監督や大谷翔平とともに戦い、2016年には日本一に輝いた。現役時代から脇役と呼ばれるタイプで、引退後はコーチとして選手の良さを引き出し、監督を陰で支えた。

 

「理想のタイプ」の大きな変化
 しかし、入団当初は違う一面もあった。少し話が逸れるように思うかもしれないが、日刊スポーツ出版社発行『プロ野球選手写真名鑑』の「理想のタイプ」変遷を見てみよう。

1984年:控えめで自分をたててくれる人
1985年:控えめで自分をたててくれる人
1986年:控えめで自分をたててくれる人。藤谷美和子
1987年:明るく控えめな女性。市毛良枝
1988年:藤谷美和子のような新人類ギャル
1989年:藤谷美和子のような支えてあげたくなるタイプの女性
1990年:藤谷美和子のような支えてあげたくなるタイプの女性

 入団当初は「控えめで自分をたててくれる人」とちょっと自己中心的(?)な一面もあった。しかし、1986年に藤谷美和子の魅力に気付くと、徐々に自らの立場を変えていく。翌年は市毛良枝に気持ちを寄せるも、1988年には「藤谷美和子のような新人類ギャル」と想いが再燃し、翌年には「藤谷美和子のような支えてあげたくなるタイプの女性」と変化。わずか3年前まで「控えめで自分をたててくれる人」を好んでいた男が、「支えてあげたくなる」ほど藤谷美和子に熱を上げてしまう。

 この考え方の変化は、白井の人生に好影響を与えたのではないか。

 藤谷はドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』『池中玄太80キロ』などで人気を博し、NHK連続テレビ小説心はいつもラムネ色』(1984年10月~1985年3月)にも出演。チェッカーズ藤井郁弥がファンを公言するなど芸能界でも人気の高い女優だった。

 白井は1993年12月に挙式。その相手は藤谷美和子ではなかったが、監督や選手を支えるコーチ業で成功を収めた白井にとって、考え方を一変させた藤谷の存在は大きかったと推測できる。ヘッドとして、三塁コーチャーとして陰で侍ジャパンを支えた白井コーチ。彼の性格に大きな影響を与えた藤谷美和子も世界一達成を喜んでいるだろう。

■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家、プロ野球選手名鑑研究家。日刊スポーツの『選手名鑑』は1991年に「理想のタイプ」などの項目が消滅。今も復活してほしいと願っている。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビューや関係者への取材、膨大な一次資料の緻密な読解で話題に。

 

栗山監督を支えた白井一幸ヘッドはどんな人物? 理想のタイプの変遷からわかる「藤谷美和子」の影響|NEWSポストセブン

 

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