――試合の総括
今日も本当にたくさんのサポーターの皆さんが、バスが入るところから試合終了まで、そしてセレモニーも含めて声援を送ってくださいました。本当にありがとうございました。
ホーム3連戦というところで2戦落としてしまい厳しい状況ではありましたが、ホーム3連戦の1戦目、2戦目、そして3戦目と、試合ごとに声援の数やボリューム、想い、そういうものが本当に増えてきたこの3連戦だったと思っています。2戦、そういう気持ちに応えられずに選手とともに本当に悔しい想いをしていました。今日の一戦は色々なものが懸かっていて、勝たないと何も残されない状況で、まずはチームとして勝ちにいかなくてはいけないと。全てはサポーターのために戦おうと。サポーターの方は1mmも諦めてないぞと。我々はもちろん諦めませんが、その想いで今日は戦うぞと伝えて、その通り選手は最後の最後まで力を振り絞ってプレーしてくれたと思っています。
――2点に繋がるところで藤川選手が泥臭く絡んでいきました。今日のプレーの評価を
前節も彼のアシストから得点が生まれましたし、この中断期にトレーニングマッチも行いましたが、変わらず良いパフォーマンスを見せていました。そういう意味ではCKのこぼれだったと思いますが、落ち着いて振り抜いて、それが相手のハンドを誘ったのかなと。こういう状況で本当に冷静にプレーしてくれたなという印象です。
――勝ち越しのPKを決めた山田選手について
(山田)大記に関しては、今週引退するということを決断して、ホーム最終戦でヤマハスタジアムでの最後の試合になりましたけど、途中から出ていくときに「大記、ひっくり返して戻って来い」と伝えました。その通りにして戻ってくるのは、大したものだなと思いました。
――立ち上がりから自分たちがやりたいことを表現しながら戦っていたのでは?
今週は勇気を持ってボールを動かしていく、その選択肢はできるだけ前の選択肢をチョイスしていこうというところをトライしてきました。選手は非常によくやってくれたと思っています。もっと言えば、クロスからチャンスは作れていましたが、そのクロスの精度がもう少し上がってくれば、と思います。ただ選手は本当にやろうとしてることをトライしてくれたなと思っています。
――直近2試合はそれぞれ4失点と守備面に課題が残ったと思います。今日に向けてどう立て直してきたのでしょうか?
この2試合、8失点していた中で、守備の構築というか立て直しは急務でした。ただ、前節も我々がやれていない時間帯はなくて、押し込まれる時間帯にどうしていくかというところで、ディフェンスラインが下がりすぎていたと。あのときはリードしていたのでどうしても守りたいという気持ちが強くあったと思うのですが、ただ、そういうときこそもう少しラインを上げる。ディフェンスラインを上げるためにもう一つ前のラインを押し出していくとか、もっと言えば自分たちでボールを握れるところで握れない、相手のファーストラインをクリアできれば、必然的にディフェンスラインが上がってくると。こういう話は選手と2週間ミーティングだったり、ピッチの上で話してきました。そういうところが少し今日は出せた部分が、全てじゃないですがあったのかなと思っています。ただ、基本的にはラインが下がっても、ボールに対しては必ずプレッシャーに行かないといけないというところは基本的な部分ですが、そこも合わせて選手にはすごく要求しました。
――最終節は勝利が大前提ですが、この先選手たちにはどう声を掛けていきたいですか?
先ほど選手たちの前では、本当に最後まで繋げてくれたということに感謝の言葉を述べました。ただ、我々が置かれている状況は変わらないですし、勝点3を取らない限り我々の道も閉ざされてしまうので、そこに向けて良い準備をして、必ず残るということを信じて戦って欲しいという話をしました。
――まずは今日の試合を振り返って
またセットプレーでやられてしまいました。本当にみんな集中してセットプレーの準備をしていて、やれていたとは思います。ただあの失点した場面は相手がCKでショートを選択したタイミングで、ボールにアタックしに行くという意識が薄れてしまっていたなと。そのためにボールへの反応が遅れてしまったというところが反省点です。
――今日も左サイドから良い攻撃があったと思いますが、もう得点に繋げていくためにもう一歩必要なことは?
まずはもっと自分のクロスの質を上げていかないといけません。自分が高い位置でボールを持ったときに、もう少しニアゾーンで相手の裏を突くプレーだったり、そういったところでもう一段階崩すことができれば、もっと相手のゾーンに侵入できるなと。今、クロスは上げることができていますけど、相手も難しくない形だと思うので、もっともっと難しい状況にするためにも自分が高い位置を取ったときに、どう味方と連係して相手の嫌な位置に入って行けるかということは、突き詰めていかないといけないと思います。
――残留するためには複数得点を奪っての勝利が必須です
自分たちはもうやるだけです。今日は勝って次の試合に繋げられましたし、自分たちのやることは明確です。勝たなければいけないという状況で、点が取れるように自分は高い位置を取って、ゴールに絡むような良いクロスだったり、ゴールできるようなポジショニングだったり、そういった部分をしっかりやって、ゴールに絡んでその目標を達成したいです。
――失点してからチームに火が付いたように見えました。それを序盤から出すために必要なことは?
この状況でみんなもプレッシャーは感じているし、まずは失点したくないというメンタリティーは、どうしてもあると思います。そういったところで硬い試合にはなってしまいますけど、失点しなければ自分たちの流れに持っていけると思っています。序盤から点を取って試合を進めることが理想ですが、まずは失点せずに自分たちの流れのときにしっかり得点をして勝つ。そういったところだと思います。次の試合は、もう一段階ギアを上げていかないといけないと思います。
――山田選手が引退を発表しました。松原選手にとってどんな10番でしたか?
自分は3年前にジュビロに入って、そこから(山田)大記君の姿を見てきました。こんなにリーダーシップを発揮できて、色々なところに気を配れて、チームのために自分を犠牲にして、プレーでもチームを引っ張っていける選手をなかなか自分は見たことが無かったですし、本当に色々なことを学ばせてもらいました。
――失点直後の出場でしたが、意識していたことは?
本来はCKの前、失点する前に入る予定でしたが、勝たなければいけない状況だったので、攻撃のところでアクセントになれるように心掛けていました。
――やわらかいボールでペイショット選手の同点ゴールをアシストしました
何人か選択肢があった中で、相手の中の状況を見てペイショットが一番良いと思いましたし、上手く蹴れました。上手く入ってくれたので良かったと思います。
――今季は出場できない期間も長くあった中で、先日のG大阪戦のゴールに続いて最終盤に結果を残しています
もちろんチームの勝利が一番重要ですし、ガンバ戦のあとにも言ったように、自分の価値をチームメイト、スタッフ、サポーターの皆さんに見せることが、プレーで結果を残すことがチームの勝利に必ず繋がると思っています。ラスト1試合も勝利に貢献できるように頑張りたいと思います。
――山田選手が現役引退することになりましたが、上原選手にとってはどんな存在でしたか?
サッカー選手として、1人の人間として、僕自身一番影響を受けた選手と言っても過言ではないくらい、プレー面、精神面、色々なところで自分を助けてくれました。憧れでもありますし、大きな尊敬があります。そういう選手が近くにいてくれたのは僕にとって幸せなことだったなと思います。僕のサッカーキャリアの中で色々な選択肢があった中で、(山田)大記君がジュビロにいるのは、自分にとって大きな決断する理由の一つでもありましたし、大記君と近くでやれたことは人生において特別なことだったと思います。
――今日は山田選手を前へと押し出すようなプレーで支えました
大記くんの最後のヤマハスタジアムでの試合で、引き分けだったり、負けで終わる訳にはいかなかったですし、何としても勝たなければいけない、もちろんそれはチームの状況もそうですけど、僕個人的な気持ちとして最後に花を持たせたかったという想いがありました。残り1試合、大記くんの力も借りて必ず勝ちたいと思います。
――ハンドを取ったシーンについて、とても冷静にプレーしていた印象です
まぶしかったので、太陽と被っていてボールが見えていなかったです。ただ、相手も失点したくないし、絶対に突っ込んでくると思ったので、キックフェイントして打とうかなと思っていました。あの場面は、自分でも無理して打たなくて良かったなと。PKになったのはラッキーです。
――次節は2点差以上で勝てば残留に望みが出ますが、そこに向けて
ここ何試合か戦って、チームとして点は取れるということは分かっているので、失点というところで複数失点していたらダメだなと。他会場の結果の前に、今日も鳥栖は勝っていますし、ここ数試合良いサッカーをしていると思うので、そこに向けて準備することが大事だと思います。
――ここ2試合得点に絡んでいますが、今日はどんな思いでピッチに立ちましたか?
自分はビハインドで入ったので、同点に追い付こうという思いがありましたし、そこから勢いに乗って、より前に前にという展開になった中でチームとしてしっかり逆転できたことは素晴らしいなと思いました。自分としてはいつも通りのプレーを心掛けています。その中でも切羽詰まった状況の中で、緊張と楽しさがたくさんあって、自分の中で良い雰囲気でやれているかなと思います。
――FK獲得に繋がった場面を振り返って
ボールを持ったり自分のところにボールが入ったら、とにかくゴールに向かおうと思っていたので、それが良い方向に行ったのかなと思っています。狙い通りの抜け出しでした。ただ、もっと畳みかけれるような力だったり、今日は勝って良かったですけど、1プレー1プレーにおいてはまだ改善点があると思うので、勝って良かったじゃなくて、しっかり振り返って、それを自分の糧にしたいと思います。
――大事な試合で先発を託されました。どんな思いで試合に臨みましたか?
自分の古巣が相手でしたし、自分も気持ちが入っていて、何としても勝ちたいという思いで試合に入りました。
――今日はボランチでの出場でしたが意識していたことは?
後ろからのビルドアップにサポートに行くなど、ボールにできるだけ多く関わって良い攻撃に繋げることと、守備でしっかり相手にプレッシャーを掛けることを意識していました。
――個人のパフォーマンスを振り返って
あまり満足できるパフォーマンスではないですが、チームの勝利が一番の試合だったので、勝てたことが良かったです。
――最終節はどんな気持ちで臨みますか?
自分たちには勝つことしか残されていないので、しっかりと最後勝ち切って、相手の結果を待ちたいと思います。
――ゴールシーンを振り返って
自分にとっても待ち遠しいゴールでした。あのゴールは、ここ1ヶ月ほどチームで練習してきた形でした。プレーが途切れたときに(上原)力也に話しにいって、壁の人数が多くて、相手も直接来ると思っているはずだから、信じて中に蹴ってくれと伝えました。その後に、ジャメ(ジャーメイン)やリカ(リカルド グラッサ)も呼んで、空中戦に強い選手をより中に集中させるような形でチーム全体でコミュニケーションを取った結果です。力也のボールも良かったですし、僕は合わせるだけでしたが、チームとして奪うことができたゴールだったと思います。
――チームとして非常に大きな勝利となりました
ここ数試合、僕たちが先制した試合もあれば先制された試合もあり、ギリギリのところで負けた試合が続いていた中で、チームとして努力するのは当たり前のことで、やるべきことをやって今日の勝利を掴むことができたと思います。チームとしては間違いなく今年一番の勝利だったと思いますし、この勝利のおかげで僕たちはあと1週間残留に望みをかけて準備をすることができるので、間違いなく今年一番大事な勝利だったと思います。そして僕たちの10番、山田大記選手にとっても、こういったセレモニーがあることは試合の前から分かっていたことですし、大記は今日の勝利に値する選手だと。今日はチーム全体が勝利に値するプレーができたと思います。
――ペイショット選手自身は得点が無い期間が長く続き、悔しい思いが募っていたのでは?
何度かインタビューの中で「FWはゴールに生きる」という話をしたことがあるのですが、なかなかゴールが生まれない中で、本当に苦しい時期を過ごしていました。それは自分でも感じていましたが、その中でも日々のトレーニングはしっかり積んでいたつもりでした。新潟戦の退場があったあとから少し出場機会が少なくなってしまいました。もちろん監督の判断はリスペクトしているので、自分に何かが足りないからこそ出場する期間が短かったのだと思います。ホーム3連戦の前までは出場したとしても5~10分ほどの出場機会の中で、自分としても何とかチームに貢献したいという気持ちがあったのですが、どうしても時間が短くて、なかなかチームに貢献できないもどかしい思いがありました。ただ、このホーム3連戦はありがたいことに少し出場時間が長くなった中でチームにとって大事なゴールを決めたいと思っていたので、今日このゴールでチームに貢献できたことは嬉しく思います。何より日々のトレーニングの姿勢がこういった結果に表れたことが、自分にとっては嬉しかったです。
――試合の総括
この試合を自分たちが離してしまったこと、非常に悔しく思っております。1-0のリードに値するものは出せていたと思いますし、そこから複数点取って相手を突き放せるような状況もあったと思います。今のジュビロさんのこういった状況の中で、ホームでの戦いの中で、色々な感情が巻き起こることがあったと思います。自分たちが相手に隙を与えてしまったと思っています。そして自分たちに圧力がかかるようになってしまいました、こういった形で敗戦したことを非常に残念に思っております。
本日の受賞選手 |
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新潟はホーム最終戦でJ1残留決められず…G大阪が逆転ACLE初出場へ望みつなぐ白星!!
[11.30 J1第37節 新潟 0-1 G大阪 デンカS]
J1リーグは30日、第37節を各地で行い、アルビレックス新潟とガンバ大阪が対戦した。G大阪が前半18分に決まったMF山田康太の先制ゴールを守り切り、1-0で勝利。最終節での3位浮上の可能性を残し、逆転でのAFCチャンピオンズリーグエリート出場の望みをつないだ。一方、新潟は他会場で18位の磐田が勝利したため、ホーム最終戦でJ1残留争いを決めることができなかった。
16位の新潟は、引き分け以上で自力でのJ1残留が決まるという条件で迎えたホーム最終節。27628人の大観衆がデンカビッグスワンスタジアムに詰めかけ、チームを後押しした。一方、4位のG大阪もACLE、ACL2出場権獲得に向け、勝利が求められる一戦となった。
試合は前半18分、主導権を握っていたG大阪が先手を取った。FW坂本一彩の縦パスは相手にカットされたが、これをMF鈴木徳真が回収し、相手に倒されながらも巧みなループパス。これを受けたDF黒川圭介が縦に攻め上がり、ハイクロスに反応した山田がヘディングで突き刺した。
自力での残留決定に向けて暗雲が立ち込めた新潟は前半43分、DF橋本健人の右CKにMF秋山裕紀がヘディングで狙うも、これはG大阪のGK一森純がスーパーセーブ。その後もFW小野裕二とMF小見洋太が波状攻撃で畳み掛けたが、DF中谷進之介と一森の鬼気迫るブロックに阻まれ、同点に追いつくことはできなかった。
後半は立ち上がりこそ新潟がボールを握ったが、リードするG大阪の守備をなかなか崩せずにいると、徐々にG大阪が保持する時間が増加。同42分、新潟は橋本のスルーパスに反応した途中出場FW長倉幹樹が左足で狙ったが、左ポストに弾かれ、同点とはならなかった。
そのまま試合はタイムアップ。ホーム最終戦で大観衆に後押しされた新潟だったが、自力でJ1残留を決めることはできなかった。また同時刻キックオフの他会場では18位の磐田がFC東京に勝利。最終節を残しての勝ち点差が3にとどまり、J1残留の行方は最終節に委ねられる形となった。
【磐田】劇的な逆転勝ちでJ1残留にのぞみつなぐ 後半44分に山田大記がPKで決勝点
[2024年11月30日19時40分]
後半、PKで決勝点を決める磐田山田
引退セレモニーで息子を手招きする磐田山田
サポーターからの声援に手を振って応える磐田山田
スタンドのサポーターのもとへ駆け寄る磐田山田
ジュビロ磐田が2-1で東京に逆転勝ちし、J1残留にのぞみをつないだ。1-1で迎えた後半44分、MF山田大記(35)がPKで決勝点。今季限りでの現役引退を発表しているベテランが劇的勝利の主役になった。クラブの下部組織で育ち、入団1年目で背番号「10」をつけてプレー。現役ラストマッチとなる鳥栖との最終節で勝利し、奇跡のJ1残留に導く。
クラブの誇りを背負ってきたからこそ決められたゴールだった。磐田は1-1で迎えた後半44分にPKのチャンスを迎えた。山田はキッカーに名乗り出た。「自分が責任を背負うつもりだった」。引き分けでもJ2降格が決まる一戦でのラストチャンス。外せば最悪の結末も待っていた中で覚悟を決めた。「悔いのないように得意な形で蹴ろうと思った」。
短い助走から左足でゴール右隅に流し込み、決勝点。利き足とは逆で蹴る自身の形でネットを揺らすと、サポーター席までかけ出し、ガッツポーズした。本拠地・ヤマハでのラストマッチで値千金の1発。山田は「サッカーの神様はいるんだと思った」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
11年に明大から磐田に加入。1度は欧州移籍でクラブを離れたが、国内では磐田一筋で戦ってきた。クラブの下部組織で育ち、「自分にとってはジュビロが特別なクラブ」。過去3度のJ2降格を経験するなど、苦悩も多かった。それでも、自身が10番をつけてプレーした経験は「夢の世界にいるようだった」と振り返った。
引退を決めたのは「10日ぐらい前」で、決断した理由は「個人で相手に勝てないと思うことが多くなった」と明かした。現役生活最後の試合は8日のアウェー鳥栖戦。チームの命運をかけた大一番になる。
残留のボーダーラインとなる17位新潟との勝ち点差は「3」。残留へは勝利が絶対条件となる状況はこの日と変わらないが、風向きは大きく変わった。山田は「今日は僕のホームでの最後にあまりあるぐらいの試合をプレゼントしてもらった。次は僕のことよりもチームのことが大事。何が何でもJ1に残りたい」。泣いても笑っても、ラスト90分。残留を置き土産にスパイクを脱ぐ。【神谷亮磨】
磐田が残り10分からの逆転勝利で残留に望み!! 引退表明の山田大記が千金PK弾
[11.30 J1第37節 磐田 2-1 FC東京 ヤマハ]
ジュビロ磐田は30日、J1第37節のFC東京戦で2-1の逆転勝利を飾って残留への望みを最終節に繋げた。今季限りの現役引退を表明している磐田MF山田大記がPKで値千金の逆転ゴール。残留圏のアルビレックス新潟を勝ち点3差、得失点でも3差を追い、柏レイソルとも勝ち点3差ながら得失点7差を追う形で最終節に臨む。最終節で磐田、新潟、柏のうち1クラブがJ2に降格する。
山田はベンチスタート。同じく引退を表明しているFC東京のFWディエゴ・オリヴェイラは先発出場となった。最初のチャンスは前半18分、残留の望みを繋ぐには勝つしかない磐田が作った。MF松原后が左サイド深くからクロスを送ると、FWジャーメイン良がニアサイドに飛び込んで合わせたが枠の左に外れた。
その後はFC東京がゴールに迫った。前半19分、MF荒木遼太郎のスルーパスでFW遠藤渓太が抜け出してクロス。D・オリヴェイラが右足で合わせるも、枠を捉えられなかった。同24分には左CKをDF中村帆高がニアサイドで逸らしたボールがファーサイドでフリーのDF木本恭生のもとへ飛ぶ。しかし木本はヘディングシュートを枠に飛ばせず、スコアレスで前半を終了した。
FC東京はハーフタイム明けからD・オリヴェイラに代えてFW小柏剛を投入した。D・オリヴェイラは前半の終盤に右足首付近を踏まれ、担架に乗ってピッチを後に。その後ピッチに戻ったが前半をもっての交代となった。最終節の出場可否が心配される中で後半8分、相手の隙を突くショートコーナーからMF東慶悟のクロスをDF安斎颯馬がヘディングシュートを決めて先制に成功した。
最低でも2点が必要になった磐田は後半18分に山田を投入。ヤマハスタジアムで行う最後の公式戦のピッチへ送り込まれた。すると後半32分、山田と同時に投入されたMF藤川虎太朗が左サイドを突破したところ、DF木本恭生に倒されてFKを獲得。木本は決定的な得点機会の阻止で一発退場となり、残り時間を磐田が数的優位に立つことになった。
このFKをMF上原力也が蹴ると、MFマテウス・ペイショットがヘディングシュートでゴールネットを揺らした。残り10分で同点とすると、後半39分には藤川のシュートが中村のハンドを誘ってPKを獲得。このPKを山田が決め、逆転に成功した。その後10分表示の後半アディショナルタイムも磐田がリードを守り抜き、3ポイントを獲得した。
山田大記選手引退セレモニー
山田大記選手コメント
ハチ君(八田直樹)、ゾノ(金園英学)、(小川)大貴が出てきたときには涙が出なかったのですが(笑)、前田(遼一)さんが出てきたら思わず泣いてしまいました。今日出てきてくれた選手だけではなくて、本当にたくさんの素晴らしい選手、そしてスタッフと共に戦わせてもらいました。小さい頃からずっと憧れていた、このヤマハスタジアム、そして大好きなジュビロ磐田というクラブ、そのクラブで10番を背負わせてもらって、戦い続けられたことは僕にとって本当に幸せなことでした。
サッカー人生、楽しいこともたくさんありましたが、辛いことや悲しいこともたくさんありました。だからこそ、どんな時も支えてくれる家族、チームメイト、スタッフ、そしてサポーターの皆さんの力が僕にとって本当に大きなものでした。
今年は、久しぶりに怪我無く思い切りサッカーができました。昨年、一昨年は怪我に苦しみプレーできる期間も少なく、なかなか100%の力も出せず、歯がゆい時間を過ごしていました。そんな中で、久しぶりにJ1の舞台で、レベルの高い選手と自分の100%の力をぶつけてプレーできる時間は、本当に幸せでした。ただ、100%でプレーできるからこそ、今の自分の100%はこのくらいの力なんだな、ということも感じながらピッチに立っていました。僕はもうJ1で主力としてチームを引っ張るそんな実力は無いんだな、ということを感じていました。
引退を決めた理由はひとつではありません。クラブの方向性など色々なことが重なって、このタイミングでの引退になりました。ただ、今皆さんにお伝えできるのは、本当に幸せなサッカー人生だったし、今このタイミングでの引退に後悔は無いということです。
皆さん、“プロサッカー選手 山田大記”とのお別れ、心の準備はできていますか(笑)。正直、今日はすごく大切な試合だったので、僕自身はまだあまり実感は湧いていません。しばらく経ってからすごく寂しくなったりするのかもしれませんが、今はとても満ち足りた幸せな気持ちでいます。
色んな時期があったからこそ、家族には本当に辛い思いをさせたし、悲しい思いもさせてしまったと思います。そんな中でも、一番近くで支えてくれた妻には本当に心から感謝しています。両親や家族の支えが無ければ僕はここまで元気にサッカーを続けることができなかったと思います。ありがとうございました。
本当に、僕は人に恵まれたなと思っています。素晴らしい選手、スタッフ、サポーターとこの大好きなクラブでたくさんの時間を過ごすことができて、本当に幸せでした。先ほど中山(雅史)さんや、名波(浩)さんからも言葉がありましたが、これからの人生もサッカーくらい情熱をかけていきたいなと思っています。そして、この大好きなクラブにどういう形かは分かりませんが、ぜひ関わっていきたいなと思っていますので、また皆さんにもお会いできるのではないかなと思います。
後ろにいる選手たちには、まずは1年間ありがとうという思いと、そして来年以降このクラブをよろしくお願いしますということを伝えたいと思います。こんなキャプテンでしたが、一年間一緒に戦ってくれてありがとうございました。
改めて、僕のサッカー人生に関わってくれた全ての方々、本当にありがとうございました。最高に幸せなサッカー人生でした。ありがとうございました。
山田大記選手引退会見
皆様お集まりいただき、ありがとうございます。クラブからもリリースがあり、先ほどセレモニーもしていただいたように、今シーズン限りで引退することになりました。本当にたくさんの方に支えていただき、メディアの皆さんにもとてもお世話になりました。まだ試合があるので、しっかりと来週頑張りたいと思っているのですが、皆さんから何かご質問があれば色々とお話しさせていただけたらなと思います。よろしくお願いします。
――セレモニーで色々な方からのメッセージがありました。ジュビロで過ごした長い時間の中で、何が一番胸にきましたか?
やはり前田(遼一)さんが出てきたときにすごくグッとくるものがありました。たくさんの選手とプレーさせてもらった中で、実は一緒に苦しんだ経験の方が印象に残っていて、今年もそうですけど、厳しい状況苦しい状況の中で、必死にみんなでどうにか良い方向にチームを持っていこうと共に戦った仲間との絆というものが、自分にとっては宝物だなと思っていて、そういう時間をたくさんの選手と過ごせたことが印象に残っています。
――引退を決断したのはいつ頃ですか?
10日くらい前ですね。クラブとも話をして、クラブの意向も踏まえてではありますが、僕自身お話しさせていただいたような理由が一番大きいです。今年100%でやれていた分、久しぶりにピッチで一生懸命全力にサッカーができることも、試合で100%を出せることもすごく幸せだった一方で、今持つ自分の100%というものが、このくらいの力なんだなというのも実感しながらやっていたので、そこがひとつ大きかったですね。
――「J1の主力としてチームを引っ張る力がないと感じた」とおっしゃっていましたが、具体的にはどんなところで感じましたか?
個人で相手に勝てないところですね。話が一回逸れてしまうのですが、横さん(横内監督)にこの引退を伝えたときに、すごくびっくりもしてくれたし、まだまだやれるんじゃないかっていう声も掛けてもらいました。同時に、シーズン途中からサブに回ることが多かったところを横さんも少し気にしてくれていたんですよね。「本当にギリギリでスタートで使うかどうかというのを迷っていた」ということも横さんから言ってもらって。そういうふうに気にはかけてくれたのですが、僕としては横さんの起用がサブスタートになったから中心ではやれないんだなと思った、ということは全くないです。自分自身がピッチでJ1の選手たちと対峙する中で、個で目の前の相手に勝てないというところですね。僕は攻撃の選手で、元々守備はそんなに得意ではないので、若いときから守備では負ける場面があったのであれなのですが…。攻撃でパッとボールを持ったときに、ちょっと取られる気がするとか、グッと相手を剥がすときに仕掛けて身体をぶつけられたときに、そこに耐えて相手の逆を取るとかっていうのができるようなフィジカルの状態でなく、ボールを持ったときの感覚が若いときの「来るなら来い」というものが、「来られないようにプレーする」と自分の中で変化してしまったのがすごく大きかったですね。もちろん経験とかもありますし、自分の中でサッカーについての理解が進んでいる部分も年齢とともに感じてはいたので、そういう中で上手くポジショニングや判断というところで、そこを補いながらチームの力になれたらなと思ってやってはいましたが、自分の中ではそういうのはひとつの誤魔化しという感じがして、目の前の相手に勝てないのにチームの中心としてやるというのは難しいなというのは練習でも感じる場面がありました。
――今日の試合が寂しくもヤマハスタジアム最後の試合で、この場所で最後のゴールとなりました。PKのシーンを振り返ってください
まずはこの最後の試合で、自分のゴールで勝つことができるという、最高のヤマハスタジアムでの終わり方ができるのは想像していませんでした。すごく色々な巡り合わせもありますし、チームメイトの力もあるし、サッカーの神様がいるんだなと最後の最後で感じました。PKに関してはいつも試合前日の練習後にPKの練習をするのですが、僕はいつも蹴らないんですね。ただ、ジャメ(ジャーメイン良)に「大記君、蹴っておいた方が良いんじゃない?」と言われたので昨日は蹴ったんですけど、そこで「どういう状況だったら蹴りますか」と言われて。僕は「プレッシャーがかからない状況だったら蹴る」と答えたんですね(笑)。これで残留が決まるとか、勝負が懸かった瞬間では蹴らないけど、「2対0とか、1対0だったらどうします?」と言われて。「残り時間が少なかったら蹴ろうかな」と冗談で話していました。あの前にFKの判定になったときから自分に蹴らしてくれと周りには伝えていました。あまり僕はFKを蹴ってきていないですけど、最近練習で蹴る機会があって少しフィーリングが良かったので、FKでも蹴ろうと思っていたし、PKになった瞬間にも自分で蹴りたいなと思いました。その中でジャメが今日試合で足を痛めていたこともあって、「大記君、お願いします」と言ってくれたので、僕が蹴らせてもらいました。
――PKのシーンは、ずっとジャーメイン選手が直前までボールを持っていました。
最近はPKの場面では必ずVARの長時間の介入があります。そこで多くのチームはGKがベンチに行って、対戦相手のPKの映像やデータをインプットしてからPKに臨むというのがよくある光景だったので、昨日も自分が蹴ることになったらという話をしていたときも、「自分が蹴るにしても、ジャメがギリギリまでボールを持っていてくれ」と。「ジャメがボールを持っていれば、相手が分析するときに、基本的にはジャメのデータをインプットする。そこでキッカーが代わって自分が蹴る」ということをジャメに伝えていたので、そういう作戦だったんですけど、相手のGKの選手はベンチに行っていなかったですね(笑)。結果として全く効果はなかった、「あれ、行かないな?」と。「これあんまり意味ないな」と思いながらでしたけど、結果として入ってよかったです(笑)。
――ジュビロでプロ選手になって、ジュビロで現役を終えましたが、最後はジュビロでという思いはどこかにあったのでしょうか?
そうですね。やっぱり実際のところ、クラブの方向性のところも、今回の引退のタイミングに関してはあったんですけど、僕の中で、他のクラブでプレーする選択肢は、今のタイミングでは無かったですね。他のクラブで数年プレーをして他のクラブで引退するのは、僕の中でしたくなかったというよりはイメージできなかったというのと、自分自身、先程お話ししたような理由で、アスリートとして高みを目指す挑戦というものは終わったんだなと今年自分自身が実感していました。もちろんサッカー選手として色々なチャレンジ、挑戦があって、長くやることもひとつの挑戦だし、色々な挑戦があってしかるべきだと思うのですが、僕自身が最も情熱を燃やせる、ワクワクする、“自分自身が上を目指す"という挑戦は、もう終わったと今年は実感していたので、クラブと話し合いをした結果として、ここで引退したいし、ここで身を引こうという気持ちを固めました。
――ジュビロの10番は、山田選手にとってどんな番号でしたか?
僕はたまに夜にぱっと目が覚めたときに、自分がジュビロにいて、10番をつけてピッチに立っていることが、信じられなくなるような瞬間がありました。そのくらい僕にとっては夢の世界にいるような時間だったなと思います。やっぱり小さい頃からジュビロを見てきて、自分も育成組織に身を置かせてもらって、本当に特別なクラブだし、10番というのも(藤田)俊哉さんを見てきてもそうだし、(成岡)翔さんや俊さん(中村俊輔)といった、素晴らしい選手たちがつけてきたというところも含めて、自分にとって特別な番号だったので、そういう番号を長くつけさせてもらって、このクラブでプレーできたことは本当に幸せな時間でした。
――PKの瞬間、右足で蹴るような体勢から左足でシュートしました。どちらの足で蹴るかは、どのように決めていたのですか?
実は去年と全く同じ蹴り方をしているんですけど、(相手GKが)データをインプットしに行かなかったところと、カテゴリーも違うので、あの蹴り方は相手選手が予測していることはないだろうなと思っていました。一番自分が得意な形ですし、最後のチャンスだったので、悔いが無いように、得意な形で蹴ろうかなと決めて蹴りました。あの形は、今だから言えますけど、コースを途中では変えられない蹴り方なので、最大限相手に逆のコースを見せるような軸足の置き方をして、あとはタイミングだけ外して蹴ることだけを意識して蹴りました。
――緊張はありましたか?
結構、動悸は激しくなりましたね(笑)。でもさすがにサッカーの神様はここで僕にPKを外させないだろうとは思いつつ、それでも僕は結構PK失敗してきていて、大学最後の試合でもPKを外しているし、高校のときも外しているし、結構大事なところでPKを外してきているサッカー人生だったので、最後にまたそうならないかなと思ったんですけど、試合直後のインタビューでも言わせてもらったんですけど、そのときにゴール裏のサポーターを見ました。本当に他力なんですけど、みんなの思いが決めさせてくれるだろうなと、僕は心から強く感じて、自分を信じて、落ち着いて蹴ることができました。
――ピッチに入るときに監督が「ひっくり返して帰って来い」と声を掛けたとのことですが、PKのタイミングでその言葉は頭をよぎりましたか?
PKの瞬間はよぎってないですけど、横さんの言葉で改めて気合いを入れてもらったと、ピッチに立った瞬間に思いましたね。昨日、一昨日とシュート練習をしていて、少しふわふわしているというか、自分自身ちょっと地に足がついていないような感覚がありました。最後のヤマハでの試合になるので、色々とそわそわしている部分があったんですけど、横さんのその言葉で、何が何でも勝点3が必要というところで、引退モードからもう一回ぐっと戻してもらったという感覚はあって。そこで気合いが入ってピッチに立てたので、比較的戦況を見ながら、自分が最後ということを感じる時間もなく、ゲームに集中してやれていたと思いますし、先程お話ししたようにVARの時間は多少時間が空いたので、色々考える時間がありましたけど、それ以外の時間は特に最後だからどうのこうのとかはなくて、この90分の中でどうやって勝点3を取るかを考えながらプレーできたかなと思っています。
――最終節をどういう試合にして、どういう結果にしたいですか?
僕自身の最後という意味では、今日あまりあるゲームをチームメイトにプレゼントしてもらったと思っているので、自分自身がどうのということは全くないですね。ただクラブとしてこれまで積み上げてきたこと、何度もJ2に降格しながら這い上がってきたことを考えると、何が何でもJ1に残りたいという気持ちは当然のことながらチーム全員が強く持っていると思います。なので他力ではありますが、自分たちができること、まず2点差以上で勝つというところをしっかり準備をして掴み取りたいと思います。
――ジュビロでタイトルという目標を掲げていた中で、それを成し遂げることはできなくても、ジュビロでこれだけ長くプレーして良かったと思うのはどんなところですか?
良かったことしかないですね。好きなクラブでやれることがサッカー選手として幸せなことだなと感じていたし、先程引退セレモニーで映像も出してもらいましたけど、僕は入団会見のときに、日本代表になってワールドカップで活躍すること、海外のトップリーグで活躍すること、ジュビロ磐田でJリーグ優勝すること、その3つを目標としてサッカー人生を歩んでいきますという話をさせていただきました。その中で、代表や海外という夢が先に途絶えた、そのときに僕はちょうどドイツから帰ってきたタイミングで、すごく喪失感がありました。一年くらいは夢が叶わないというか、海外は年齢的に難しいし、代表も難しいという現実を受け入れきれずに、モヤモヤしていた時期があったんですけど、ジュビロ復帰が決まったときに名波さんが全部分かってくれていて、「お前は今色々な気持ちがあって、心の整理もできていないと思うけど、このエンブレムを胸に戦う以上は何が何でも100%クラブのために戦ってくれ」と言ってくれて。その言葉を胸に自分の中でやってきましたし、1年ほどして、自分の中で整理ができた後は、このクラブのためにという思いが自分を突き動かしてくれて、前に進む、挑戦する原動力になったので、そういった意味でも自分が好きなクラブ、生まれ育った街にあるクラブでプレーできて本当に良かったと思います。
――今後ジュビロとどう関わっていきたいと思っていますか?また、子どもたちに夢を与える事業も行っていますがそういった部分も含めて今後のビジョンは?
クラブとは、僕からも関わっていきたいですという話をさせてもらっていますし、クラブからもぜひ残ってほしいと言ってもらっているので、まだ具体的なところは詰めていないですけど、クラブには何かしらの形では残してもらえることになると思います。僕自身は、一回ゆっくりしたいなというところもあるので、わがままですけどクラブ側にもフルタイムではなくて、そういった感じで(笑)という話をさせてもらっています。
そして、NPO法人を立ち上げて本格的に子どもたちをサポートするような活動をしていて、そこはしっかりこの2、3年で形にしたいと思っているので、そこをやりつつ、クラブにも携わらせてもらいながら、ゆくゆくはこのクラブをより良いクラブにしていくということを、今たくさんの方が色々な思いを持ってやっていますけど、僕もその仲間に加わりたいなという思いは強くあるので、引き続き関わらせてもらいながら、このクラブに違った形で貢献できるようにしていきたいと思います。
――チームのためにという思いが山田選手の軸になっていると感じます。
ここ数年は、自分がどうこうよりもクラブのためにという思いが強かったんですけど、それは、何て言うんですかね…。自分としては救いだったというか、海外から戻って夢が途絶えた、もちろん年齢は関係なく目指せると思うんですけど、もちろん自分の衰えも感じていたり、状況とかも客観的に見たりする中で、その夢を叶えるのは難しいなと思ったときに、燃え尽きそうなところで最後の情熱の火を灯し続けられたのはこのクラブがあったからです。チームのために、という情熱を燃やす材料が残っていたこと、本当にこのクラブに感謝しています。降格など、チームの成績で言うとなかなか難しい十数年でしたけど、それでもクラブに関わる先輩方やチームメイトから残してもらったものはたくさんあって、結果が出ない時期でもこのクラブのために魂を懸けて、情熱を燃やして戦ってくれた監督やスタッフ、選手がたくさんいて、そういう人の思いをしっかりと未来に繋いでいきたいということは考えながらプレーしていました。ジュビロはよく「仲が良い」と言われて、勝てない時期はそこをネガティブに捉えられてしまうこともありますけど、本当に仲間のことを大切にするとか、仲間のために尽くすとか、必死に戦える、人を大切にするということは、サポーターも含めてこのクラブの本当に良いところだなと思っています。そのクラブが持つあたたかさはこれからも繋いでいきたいと思いながらピッチに立っていました。細かいところですけど、新しい選手が入ってきたときに無条件にその選手を受け入れて、仲間として、外国籍選手であっても、力の足りない若手の選手であっても、仲間として無条件に受け入れて、仲間として大切にしてみんなでやっていくということが、僕が受け継がせていただいたジュビロの良さだと僕自身思っているので、そこはなるべく繋いでいこうと考えて、プレーや生活をしていました。
――改めて残留への思いは?
今クラブが進んでいる方向は間違いなくいい方向だと思うので、横さんが来てくれて、俊哉さんが来てくれて、色々なものが変わって今良い方向にも進んでいると思います。J2に落ちて、ということを繰り返してしまうと、また1からやり直しになってしまうので、降格がクラブづくりを難しくしてしまうなと身をもって感じていて。これまでも継続できていればもっと良い方向に行けたんじゃないかということもありましたし、その中で降格によって断ち切られ、また0から、1から作り直さなければいけないということを繰り返してきてこの状況に立っています。J1に残り、積み上げてきたものの上にしっかり自分たちが上積みしていくということをやるためにも、今年はどうにか残留というものを掴み取りたいなと思っています。
――大きなプレッシャーが懸かる場面でのPKでしたが、蹴りたいという意思を持ったその想いはどんなところにありましたか?
FKの段階で、「俺に蹴らせてくれ」と周りにも言っていたので、PKになったときも同じ気持ちでしたね。得点王争いもあるので、ジャメがどうしてもと言えば譲っていたかもしれないですけど、自分自身がその責任を背負うべきじゃないかなと思ったところもありました。考え過ぎかもしれないですけど、仮に今日のPKを外すということをそういう事実を他の選手が経験したときに、今後のキャリアにもネガティブな影響があるんじゃないかなと思って。ジャメとかなら大丈夫だと思うんですけどね、19点も取っているし(笑)。なので自分がそこの責任は背負いたいと、そう思いました。
――結果的に次につながる得点になりましたが、ゴールに入ったときの気持ちは?
嬉しかったと言うか、ホッとしたという気持ちが一番でした。来年自分がいないということが決まっているからこそ、自分のプレーで降格が決まってしまったときにその責任を取れないと言うか、誰も責めないと思いますけど、無責任になってしまう気がしていていました。自分としては、ヤマハ最後の試合で、来年はプレーヤーとしては身を置かない、ということが決まっている立場とはいえ、そこでしっかり責任を果たすことができてすごくホッとしました。
――改めて海外挑戦したことへの思いは
ご存じの通りかもしれませんが、ドイツに行って1年目に昇格ギリギリのところで失点をして、僕たちはブンデス1部に上がれなくて、そこで上がっていたら変わっていたかなという気持ちもあります。今思えば実力があれば個人でも上がれるし、自分には及ばなかった舞台なのかなと感じるところもあります。3年目は途中から試合には出ていましたけど、すごく自信を失っていたので、そこで自信を失わずやれたらどうだったのかなと思うこともありました。ただそのメンタリティーも含めて、自分には力が足りなかった舞台かなと感じています。僕は比較的、物事をポジティブに捉える方なので、その分ジュビロで長くやれたし、今振り返ってみると自分で海外に挑戦してトライしてダメだったので、悔いはありません。ここで長くやらせてもらえたことは何かの巡り合わせで、自分にとってすごく幸せなことだったので、そこに後悔や“たられば"みたいなことはないですね。
――後藤啓介選手や伊藤洋輝選手、古川陽介選手などジュビロから巣立ち、海外に挑戦している選手も多くいますが、どんな期待を抱いていますか?
その3人とも一緒にプレーをさせてもらって、可愛い後輩で3人とも今回のことで連絡を取ったんですけど、「僕の夢を」みたいなことは全く思わないですね。それぞれの夢や目標を一生懸命追いかけてほしいし、この世界ではそれが叶うことも叶わないこともあります。挑戦を諦めなければいけない瞬間もありますが、僕みたいに引退する瞬間に悔いがないように、精一杯チャレンジしてくれればいいなと思います。
――ジュビロのレジェンドとして活躍してきましたが、ジュビロを離れていた高校や大学の期間は山田選手にとってどういった期間でしたか?
僕は幼少期からジュビロに憧れていたのですが、そんなに高校、大学はジュビロの試合は見ていませんでした。大きな転機になったのは、松浦(拓弥)がゴールを決めた2008年でした。大学1年の終わりくらいだったんですけど、あのときジュビロが初めてJ2に降格するかもしれないと思ったときに、すごく嫌だと思ったし、どうにか頑張ってほしいと思って、同級生でもある松浦の活躍でJ1残留を果たしたあの試合を見てジュビロを応援しているときに、自分はすごいジュビロが好きなんだなと感じました。
それまでは、ジュビロが近くにあって当たり前の存在で、ユースにも上げてもらえずに高校に行ったりしたので、別にネガティブな気持ちはなかったですけど、特別「戻るぞ」という思いは無くて。ただ、あの入れ替え戦は印象的でしたし、僕のジュビロへの思いに気づかせてもらった経験でした。クラブからオファーを貰ったときはすごく嬉しかったし、考えた末ではありましたけど好きなクラブでやりたいなという思いで、ジュビロを選ばせてもらいました。