だって、Gaboくん元気です 望郷編

故郷 焼津に住まいして、なにをしようか?

近海一本釣りの久礼カツオ船

2023.01.03 08:45

「寂しいねえ」相次ぎ廃業 近海一本釣りの久礼カツオ船が最後の航海―絶滅危機! 100トン近海船(1)

船体処分のため最後の航海に向かう第28鳳丸。東北や千葉の沖を駆け巡ってきた(中土佐町久礼)

船体処分のため最後の航海に向かう第28鳳丸。東北や千葉の沖を駆け巡ってきた(中土佐町久礼)

 

廃業を決めた鳳丸の中城洋介漁労長

廃業を決めた鳳丸の中城洋介漁労長

 

 

 いわし雲が美しく広がる朝だった。

 

 昨年10月下旬。中土佐町久礼の近海カツオ一本釣り船「第28鳳(おおとり)丸」(138トン)は、穏やかな土佐湾を東へ走っていた。甲板を見渡す定位置でかじを握る船主兼漁労長の中城洋介さん(64)。その表情に、魚群を探すいつもの緊迫感はない。廃業を決め、船体を処分するため、母港の久礼から高知の造船所へと向かう最後の航海だった。

 

「水揚げがもっとあったら廃業とは別の考えもあるかもしらん。もうちょっとやりたい気持ちもあった。でも、しやない。まだ割り切れんけど」

 

無念さを振り切るように双眼鏡を目に当て、水平線を行く小型漁船に向ける。

 

「ありゃ、友だちの船かな。いや違った…」

 

 

■残るは6隻
 本県の近海一本釣り船の減少が止まらない。

 近海一本釣り船は、九州の南から東北沖まで、日本周辺の広範囲でカツオを釣って、冷蔵状態で供給している。高知を代表する漁業だが、特に100トン超の大型船の経営難が深刻だ。

 高知かつお漁協では、過去5年間に100トン超の5隻が操業を停止し、残るのは113~167トンの6隻のみ。明神水産(黒潮町)の50トン級2隻を合わせた計8隻が、現在の高知近海船団ということになる。

 全国近海かつお・まぐろ漁業協会(東京)によると、大型船が最も多いのは宮崎県の17隻(うち1隻は71トン)で、次に三重県の9隻(1隻は96トン)。静岡県にも1隻が残る。かつて近海カツオ漁のトップを独走していた本県船団は、現在3位というわけだ。

 鳳丸の昨季の漁獲高は約1億7千万円。前年の約2億円に続き、採算ラインを割った。燃油高と不漁に加え、機関士などの資格を持つ高齢船員の後任が見つからない。多額の費用が見込まれる船の定期検査が迫ったことも、廃業の判断へと傾かせた。

 いつの間にか雲は消えていた。鳳丸の航跡に、うねる水の色が明るさを増す。

 「近海船は良かった。みんなで共同で漁をして、家への送金もできる。安定しちょった。寂しいねえ」。60代のベテラン船員が、苦楽が詰まった甲板で振り返る。

 70代の機関長も、昨季の漁で転倒し、脚を痛めたという。「年のいったもんには大型船が懐かしい。けど大きいと経費ばっかり。昔は小さい船ではいかんと船が大きくなった。今は大きい船がいかんと…。残ったカツオ船の漁がまた良うなってくれればいいが」

■「遠く、大量に」
 この数日前。鳳丸は最後のカツオ約300キロを、神奈川県の三崎港に水揚げした。

 作業後、中城漁労長は船員一人一人に声を掛けた。「移りたい船があったら、何とか連絡して乗れるようにするき」と解散を告げて回る。不漁続き。何人かは、そんな“匂い”を感じていたようだった。

 本県カツオ漁には、1週間前後の航海をする近海大型船、日帰りの沿岸小型船、その中間の19トン型があり、利点を生かした操業をしている。久礼の小型船団は今も県内トップの水揚げを誇る。

 かつて鳳丸とともに操業し、2020年に廃業した「順洋丸」(中土佐町久礼、119トン)の元漁労長、青井安良さん(76)も近海大型船の激減に寂しさをにじませる。

 「大型は遠くへ行ける、盛漁期にはたくさん取ってこれる。昔は船員も他から雇う必要がないばあおったし、かなりの稼ぎになりよった。こんなことになるとは思わざった」

 鳳丸は2時間ほどで桂浜沖に差し掛かり、ぐっと速度を落とした。

 浦戸大橋をくぐり、湾内の造船所が集まる一角へ。全長31メートルの船体は、タグボートで引っ張られ、岸壁に止まった。

 「はい、着きました」

 中城漁労長が静かに言ってエンジンを切った。

 タラップから岸壁へ降りると、「お疲れさま」と造船会社の作業員が出迎える。近くの岸壁には、廃業した別の近海船2隻が、行き場のないまま係留されていた。

 ◇  ◇ 

 近海一本釣りは長年、厳しい経営環境にさらされながら順応し、乗り越えてきた産業だ。

 本紙でも「正念場 黒潮の狩人」(1997年)、漁(すなどり)の詩(2008~09年)、「激流の中の近海船」(17年)といった連載記事で、時代ごとの課題を伝えてきた。

 そして今―。かつて92隻を数えた近海船は、絶滅の危機に瀕(ひん)している。瀬戸際の「土佐の一本釣り」を支える人々を訪ねた。(報道部・八田大輔)

 

 

 

 

 

 

2023.01.04 08:39

花形の船 バブルの時代―絶滅危機! 100トン近海船(2)

 

初代鳳丸の進水式(中土佐町史より)

初代鳳丸の進水式中土佐町史より)

 

 はためく大漁旗に麦わら帽子―。中土佐町史に、一本釣り船の進水式を収めた古い写真が載っている。

 昨季で廃業した、同町久礼の近海船「第28鳳(おおとり)丸」の第1号だ。武骨な木造船を大勢が囲んでいる。袖をまくった男たちは乗組員だろうか。

 日付は「昭和四年五月廿三日」。鳳丸の歴史は100年近い。

■新船次々に
 第1号船の船主は中城梅太郎さん。地元資産家の融資を受けて建造した。

 「ほら。船の上に立てっちゅうががおじいよ。カツオ以外にもいろんな漁業を構えて、おやじらは休む暇がなかった」

 梅太郎さんの孫で、第28鳳丸の船主兼漁労長の中城洋介さん(64)が、計器の並ぶ操舵(そうだ)室で、スマートフォンに保存した写真を見せてくれた。

 「僕が小さいころ、鳳丸は5号と6号。それからも次々に新船を造りよった。カツオ船バブルの時代よ」

 町が2001年に発行した「土佐のカツオ漁業史」によると、第2鳳丸(13トン)は1938年に建造。「規格外」として戦時の徴用を免れ、復興を引っ張った。

 その後、51年=18トン▽58年=30トン▽64年=39トン▽69年=39トン▽71年=59トン▽75年=69トン▽76年=69トン▽82年=69トン―と大型化が進む。最後の69トンが第28鳳丸で、2000年代に118トンと138トンの中古船に更新して操業を続けた。

 材質は木造から、71年に県内初の鋼船になり、28号はFRP(繊維強化プラスチック)に。動力も焼き玉エンジンからディーゼルに変わり、餌のイワシを生かす海水循環装置や冷蔵装置も搭載されて、漁業効率を飛躍的に高めていく。

 漁場も格段に広がった。1950年代は九州から和歌山沖までで、60年代には台湾沖から三陸沖、さらに200カイリ規制がかかるまでの70年代にはフィリピン沖から北海道の千島沖へと南北に伸ばした。

 戦後復興と経済成長の時代、本県漁業者は操業拡大と近代化に一本釣りの未来を懸けた。鳳丸の歩みは産業史と重なる。

 久礼船団は70年代に最多の13隻を数えた。77年の土佐鰹漁協(現・高知かつお漁協)の名簿では、県内は奈半利23隻と佐賀15隻をツートップに、久礼、土佐清水、宇佐と続く。平成に入ると、佐賀勢が最多になっていく。

■「純平」も乗った
 中城漁労長が、室戸水産高校を出て初航海に挑んだのは、近海船が最も元気だった76年。「数年乗れば家が建つ」と言われていた。

 「よう覚えちゅう。人間の暮らしじゃないと感じたね。真水はないから、氷が解けた水をかぶる。おとろしいおんちゃんばかりで、酒を飲むとけんか。包丁が出たこともあった」

 故青柳裕介さんの名作漫画「土佐の一本釣り」が連載されたのもこの頃だ。

 主人公の小松純平が乗る「福丸」は39トンから69トンへと大きくなり、九州から三陸沖を駆け回る。カツオ漁を巡るみずみずしい人間模様から「高知=一本釣り」のイメージが定着。近海船はカツオ漁の花形であり、代名詞になった。

 若き日の中城青年は、実は一度、挫折している。

 20歳で船を降り、高知市の釣具店で1年働いた。ところが、父の芳喜さんががんに倒れてしまう。家業への責任から戻り、夢中で船長、漁労長を務めてきた。

 「昔はえいナブラ(魚群)があった。芯があって固まって。カツオが腹を返して、蛍光灯を明らせたみたいに真っ白くきらきら光ってよぉ」

 大型船の歴史に幕が下りた久礼では、小型船が沿岸漁で奮闘する。

 カツオの町の物語は続いている。(報道部・八田大輔)

 

 

 

 
 
 
 

2023.01.05 08:29

運命共同体が途絶える―絶滅危機! 100トン近海船(3)

 

年々細る漁場に高騰する経費。その間でカツオ漁師がもがいている(宮城県の気仙沼漁港)

年々細る漁場に高騰する経費。その間でカツオ漁師がもがいている(宮城県気仙沼漁港)
 

 夜明け前。暗闇に航行灯をたなびかせ、漁船が岸壁に近づいてくる。釣り座となる船首がせり出したシルエットは、一本釣り船ならではの機能美だ。

 昨年10月、国内最大のカツオ一本釣り拠点、宮城県気仙沼漁港を訪ねた。東日本大震災から復旧した岸壁で、港関係者は既に厚手のジャンパーを着込んでいた。

 この日のカツオの水揚げは、第151明神丸(167トン)と第63佐賀勝丸(122トン)、第8日昇丸(113トン)の本県3隻と、宮崎県の119トン船が2隻。

 午前4時半。明るく照らされた甲板で、かっぱを着た船員たちがカツオを手渡しでリレーし、岸壁のベルトコンベヤーに乗せ始めた。陸側の作業員が入り交じってカツオを仕分ける様子は、活気ある風景に見えたが…。

 

気仙沼の大黒柱
 例年、この時期の気仙沼では連日のように戻りガツオが水揚げされる。漁労長たちが漁期の終盤に猛ラッシュをかけるからだ。夏から秋の近海船の活躍で、同港は26年連続の生カツオ水揚げ日本一に輝いている。その大黒柱が一本釣りだ。

 ところが昨年の三陸沖は極度の不漁に陥った。漁労長たちの表情はさえない。

 「無理だ。はえちょらん(食い気がない)。4トン釣るに1週間かかった」

 4トンといえば、沿岸の小型船が1日に釣ることもある量。7トンを水揚げした別の近海船は航海に10日間を費やしていた。

 漁場は800キロ以上も沖合。移動だけで3日かかる。記者が訪れた日の前後数日間も一本釣り船の水揚げはゼロ。さらに運航経費の4割を占めるA重油は、昨年10月時点で1リットル88円台。20年間で2・5倍以上に跳ねて利益を奪っていた。

 「1航海で25キロリットルも油をたかないかん。赤字つくりに行きゆうようなもんよ。元を取る自信がない」

 魚体にも異変があった。

 ベルトコンベヤーには5キロを超える大型カツオと1キロ台の小型ばかり。主力となる脂の乗った3、4キロ台はほとんどなかった。

 多くの近海船が、例年より早く漁を切り上げたり、三陸沖を諦めて九州方面でカツオを探したりして操業を終えた。

■昨季水揚げ最低
 高知かつお漁協によると、昨年の本県近海船の水揚げは過去10年で最低の約7090トン。最も少なかった19年の1万360トンを大きく下回った。

 気仙沼漁港への巻き網を含めた生カツオの水揚げも8400トンと最低水準。過去5年平均の2万1430トンの4割に落ち込んだ。

 朝焼けが照らし始めた船の近くを、軽トラックがきびきびと走り回る。荷台には、たばこの空き箱や即席麺の袋、プラスチック容器などが詰まったごみ袋。

 「船が分別して持って帰ってくる。震災後、引き取るようになったんです」

 魚問屋社長の小野寺健蔵さん(60)が、そう言いつつ袋を手際よく整理する。祖父が高知船を気仙沼に誘致し、父が一本釣りに必要な三陸の餌場を開拓した。小野寺さんは震災の大波を乗り越え、土佐の一本釣りを支え続けている。

 鉄工所に電気屋、食料などの仕込みに病院まで。気仙沼には一本釣り関連の多彩な職業が息づく。小野寺さんによると、船の減少や高齢化で廃業が増えてきたという。

 「カツオが命。運命共同体だから。船に頼まれたら寝ずに修理するし、夜中でもけが人を診る。船を動かすための長い付き合いが、本当に途絶えようとしている。防衛費も必要だけど、今こそ国の支援とか、食文化に関心を寄せる人たちの協力が必要です」(報道部・八田大輔)

 

 

 

 
 

2023.01.06 08:20

波越えるレジェンド船―絶滅危機! 100トン近海船(4)

かつて全国の漁労長が集まってきたという佐賀勝丸(宮城県の気仙沼漁港)

かつて全国の漁労長が集まってきたという佐賀勝丸(宮城県気仙沼漁港)

 伝説の船頭がいた―。

 宮城・気仙沼漁港で一本釣り船を支える魚問屋、小野寺健蔵さん(60)が高知船団との日々を語る。

 「すごい船頭たちがいたの。土佐の三羽烏(がらす)って、全国に名がとどろいてた。やっぱカツオは高知なのさ」

 その三羽烏の1隻が黒潮町の佐賀勝丸。初代船主の辻一水(かつみ)さん(故人)は1985~93年に土佐鰹漁協の組合長を務めるなど、本県カツオ漁をけん引した人物。その息子で現船主の義郎さん(83)こそが、伝説の船頭だ。

■絶対大事にしなきゃ
 潮の流れや風向きなど、人間の経験と勘で自然を読み、カツオを追った時代。義郎さんは他船が行かない海で群れを見つけ、誰よりも釣り、情報を惜しげもなく仲間に伝えたという。

 小野寺さんの記憶に残る風景がある。

 「義郎さんの船が港さ着くと、三重とか宮崎の船頭も話を聞きに集まってくんのさ。とも(船尾)に集まって一緒にビールを何ダースも飲む。口数は少ないけど、みんなが認めていた。レジェンドだね。私も仕事を教わった。この人たちの船は絶対大事にしなきゃって思った」

 伝説の船頭は、83年進水の第58佐賀勝丸(136トン)を率いて近海を駆け、次代を担う船員も育てて20年ほど前に船を降りた。

 昨年暮れ、黒潮町佐賀の船着き場に義郎さんの姿があった。80歳を超えた今も、ボートで沖へ出る。声をかけると「大型船? 船のことは息子がやりようき」と小さく笑い、「正月用だ」と釣ったばかりの赤い魚を見せてくれた。

 現在の佐賀勝丸は99年建造の第63号(122トン)の1隻体制で有限会社が運営し、長年の船員が船頭を務めている。同社幹部によると、不漁や経費高騰で経営は楽ではないという。

 「船が古くなって修繕費もかかる。5億円の造船費を何とかやりくりして完済したが、必要な魚群探知機を付けるのにまた4千万円借りた」

■一年一年が勝負
 近海カツオ船の経営とはどういうものか。

 仮に水揚げ高を年3億円とする。燃料や餌代、入港先の問屋への支払いなどの漁労経費が1億~1億5千万円かかり、残りを船主(会社)と船員が折半する。この「大仲(おおなか)制度」と呼ばれる方法が昔から受け継がれ、造船費などの返済は船主の取り分から出すことが多いという。

 県は2021年度からカツオ、マグロ漁業向けにコンサル派遣を始めた。水産政策課の担当者が、大型カツオ船の分析で見えた主な課題を2点挙げる。

 一つは、1年の漁期が終わってから「今季はどうだったか」を振り返る経営で、有効な目標や戦略が立てにくい。もう一つは、どれだけ釣ったかの売上高が重視され、利益確保の視点に欠ける点だ。

 改善策はある。例えば、2~4月は赤字傾向のため、出漁を控えて経費を抑える判断もあるのではないか―というのが県の見方。柔軟に経営スタイルを変えれば、漁場などの情報収集にたけた船には将来性があるとみる。

 一方、経営環境の厳しさが増す中で「成功体験として残る昔ながらの手法で続けるのはかなり危ないビジネスだ」と分析する。

 経営のネックの一つに5年ごとの定期検査もある。車検のようなもので、近海大型船にとっては4千万~5千万円かかる“大波”だ。

 第63佐賀勝丸の定期検査も近い。船主も船頭も乗り越える覚悟だという。

 「水揚げも船員確保も、毎年状況が変わる。一年一年が勝負だ」(報道部・八田大輔)

 
 
 
 

2023.01.07 08:23

政府交渉は期待外れ―絶滅危機! 100トン近海船(5)

大小のサイズに二極化するカツオ。資源減少が原因という(宮城県の気仙沼漁港)

大小のサイズに二極化するカツオ。資源減少が原因という(宮城県気仙沼漁港)

 

「カツオ異例の豊漁!」

 昨年6月初旬、テレビやネットメディアが一斉にこんな話題を伝えた。

 5月の千葉県勝浦港の水揚げが前月比で35倍に上り、「家計の救世主」「脂の乗りは、秋の戻りガツオ並み」と喜びの声が上がったという。

 

■極めて異例な現象
 残念ながら豊漁は続かなかった。むしろ7月以降、本県などの近海一本釣り船の主漁場となる三陸沖は極度の不漁に陥った。

 12月の高知市。高知カツオ県民会議が開いた会合で、カツオ調査を続ける茨城大学客員研究員の二平章さん(74)がこう解説した。

 「春に脂が乗った上りガツオが食べられると喜ぶのは駄目。それは三陸沖に北上する前に成熟したからで、そのまま産卵のため南下してしまうのです」

 黒潮などのルートで移動するカツオは、夏から秋にかけて三陸沖へと上ってくる。しかし、昨年の三陸沖は魚影が薄かった上、サイズが二極化した。本来は現れないはずの特大サイズが釣れる代わりに、脂の乗った3キロ級はわずかという「極めて異例な現象」が起きていた。

 二平さんは、資源の減少が最大の原因とみる。カツオの分布の中心である赤道近くの熱帯海域、フィリピンやインドネシア周辺での乱獲が、成熟の早期化や分布域の縮小につながっているという。

 熱帯海域ではツナ缶の需要の高まりとともに、1980年代から巻き網船が急増。漁獲量は、約40年で5倍に膨れ、2019年には200万トンに達している。

 

■なんちゃ変わらん
 こうした状況下、昨年11~12月にベトナムで開かれた国際会議「中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)」で新たなカツオの資源管理ルールが採択された。

 
 

 漁業がない場合の資源量を100%と仮定した上で、40%を下回ると規制によって漁獲量を減らし、57%を上回れば規制を緩和するという取り決めだ=イメージ図参照。

 他国との交渉に当たってきた水産庁はこれを「資源減少に歯止めをかける合意だ」と胸を張る。海のエコラベルを運営する「海洋管理協議会」(MSC、ロンドン)も、ラベル使用の前提に管理基準の導入を求めており「大きな転換の兆し」と歓迎した。

 しかし、本県などの近海一本釣り漁業者にとっては期待外れだった。

 採択された際に示された直近の資源量は54%。つまり今と同じ漁獲が許される範囲内だ。これが40%に落ちるまで、現状の巻き網漁が続くことに“お墨付き”を与えたとも取れる内容だった。

 国際交渉では各国の利害が衝突する。規制を嫌う太平洋島しょ国では、巻き網船から得る入漁料に国家財政が依存している。このため、客観データで交渉の土台を設けるための科学者間でさえ、政治的駆け引きが絡むとされる。

 昨年までのWCPFCでは18年の資源量を42%とすることで合意されていた。ところが、ルールが採択された昨年は資源量が54%へと不可解に跳ね上がっている。

 水産庁はこの点、「計算モデルの違い。そもそも資源評価はぶれるもの」と説明する。揺れ動く“根拠”を基にした国際合意で資源が守れるのか。県内のある漁労長はこう吐き捨てた。

 「資源問題を言い続けて何年になる? なんちゃ変わらん。今やそれ以前の問題。魚が戻っても、その頃に船はないろ」

 一本釣りに残された時間はごくわずかだ。(報道部・八田大輔)

 
 
 
 
 
 
 

 

【高知】今年のカツオ漁、日本一は『第八十三佐賀明神丸』明神水産勢が11年連続で首位

神水産所属・第八十三佐賀明神丸の漁労長・明神学武さんは2022年3月、黒潮町の佐賀漁港を出港。約9カ月間、南西諸島から三陸沖にかけての近海でカツオの一本釣り漁をしてきました。

全国40隻が競う中、第八十三佐賀明神丸の漁獲高は約4億3900万で2年ぶりの日本一に輝き、明神水産勢が11年連続で首位を守りました。

明神漁労長たちは2カ月間休養し、2023年2月下旬には再び出航する予定です。

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