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小野伸二 引退

【札幌】「天才」小野伸二が引退発表「足がそろそろ休ませてくれ」44歳誕生日、W杯3大会連続

[2023年9月27日14時44分]

 

44歳の誕生日を迎えた札幌小野(右)はペトロビッチ監督と笑顔であいさつ(撮影・保坂果那)

 

 

 

2010年1月22日、清水新入団選手発表 背番号30のユニホームを着て、長谷川健太監督(左)と握手するMF小野伸二

2010年1月22日、清水新入団選手発表 背番号30のユニホームを着て、長谷川健太監督(左)と握手するMF小野伸二

 

2010年12月29日、天皇杯 準決勝 清水対G大阪 後半、シュートを放つ清水MF小野伸二

 

1997年・清水商業時代の小野伸二

 

サッカーJ1北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二が、背番号と同じ44歳の誕生日を迎えた27日、今季限りで現役引退すると発表した。自身のインスタグラムで表明した。FIFAワールドカップ(W杯)に日本史上最年少の18歳272日で初出場。以後3大会連続で大舞台に立った天才が、プロサッカー選手としては第一線から退く。

今季J1最年長選手の小野は、足首や膝などの痛みで別メニューで調整する時間が長く、公式戦出場は天皇杯2試合にとどまっていた。

一方で、かつて「僕はサッカーが好き。チームが契約してくれる限りサッカーをやり続けたい」と、現役へのこだわりを話していたことがある。札幌では精神的支柱。本人が来季も現役続行を希望すれば、まだユニホームを脱ぐことはなかったが、引き際を悟った。

自らの言葉で最初にファン・サポーターに報告したい意向が強く、クラブの正式発表に先んじてSNSに思いをつづった。

「皆さまに、ご報告があります。サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました。まだシーズン残り数試合ありますが、僕も試合に少しでも関われるように変わらず良い準備をしていきます。最後まで応援よろしくお願いします。小野伸二

1979年(昭54)生まれの「黄金世代」を代表する、顔と言える選手。清水商(現・清水桜が丘)から浦和レッズ入りしたプロ1年目の98年、W杯フランス大会1次リーグ第3戦ジャマイカ戦に18歳272日で初出場を果たした。W杯日本代表史上最年少の出場記録は、いまだ破られていない。

01年にオランダ1部フェイエノールトに移籍し、翌02年に日本人初の欧州タイトルとなるUEFAカップ制覇を経験。浦和復帰後の06年はJ1リーグ天皇杯の2冠に貢献。ドイツ1部ボーフムやオーストラリア1部ウエスタンシドニーでもプレーした。14年に加入した札幌ではキャリア最長の計9シーズン目に入っていた。

けがで試合出場の機会こそ減ったが、類い希な技術は健在。練習では、足にボールが吸い付くトラップ1つで見学者を魅了する。世界が才能を認めた「天才」のプロサッカー選手人生は26年目で区切りを迎え、新たなステージへ入る。

今季最終節は12月3日。プロ生活を始めた古巣浦和戦で最後の花道を飾るつもりだ。

小野伸二(おの・しんじ)1979年(昭54)9月27日、静岡県沼津市生まれ。清水商高から98年に浦和入り。99年ワールドユース(現U-20W杯)ナイジェリア大会では、日本男子のFIFA主催大会で当時最高位となる準優勝に主将として貢献し「黄金世代」と呼ばれた。A代表では01年のコンフェデレーションズ杯でも準優勝。大会後、フェイエノールト移籍。06年に浦和へ復帰し、J1と天皇杯の2冠に尽力した。08年ボーフム、10年清水エスパルス、12年ウエスタンシドニー、14年札幌、19年にFC琉球移籍も21年に札幌へ復帰。W杯は98、02、06年の3大会出場。国際Aマッチ通算56試合6得点。J通算292試合38得点(J1通算206試合29得点)。175センチ、75キロ。家族は夫人と2女。血液型O。

 

【札幌】「天才」小野伸二が引退発表「足がそろそろ休ませてくれ」44歳誕生日、W杯3大会連続 - J1 : 日刊スポーツ

 

 

 

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【札幌】小野伸二が現役引退発表 稲本、高原らと代表で活躍「黄金世代」現在も輝く/一覧

[2023年9月27日14時45分]

 

【イラスト】1970〜80年生まれの黄金世代主な選手

 

サッカーJ1北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二が、背番号と同じ44歳の誕生日を迎えた27日、今季限りで現役引退すると発表した。自身のインスタグラムで表明した。FIFAワールドカップ(W杯)に日本史上最年少の18歳272日で初出場。以後3大会連続で大舞台に立った天才が、プロサッカー選手としては第一線から退く。

◆黄金世代(ゴールデンエイジ)

MF小野伸二、MF稲本潤一、FW高原直泰を筆頭に、MF中田浩二、MF小笠原満男、MF遠藤保仁ら79~80年生まれの逸材がそろった世代。フィリップ・トルシエ監督が指揮した99年のFIFAワールドユース選手権(現U-20W杯)ナイジェリア大会で準優勝し、日本サッカー史上初めて国際サッカー連盟FIFA)主催の世界大会で決勝に進出した。

その後の00年シドニー五輪で8強入り。この世代が主力になった02年のFIFAワールドカップ(W杯)日韓大会では初めて決勝トーナメント進出を果たし、日本サッカー界の躍進を導いてきた。

99年ワールドユースのメンバーで現在もJリーグに在籍するのはMF遠藤保仁とGK南雄太の2人。遠藤はJ2ジュビロ磐田、南はJ2大宮アルディージャでプレーしている。

MF稲本潤一は関東1部リーグの南葛SCで現役。日本フットボールリーグJFL沖縄SVで選手兼監督のFW高原直泰は8月に今季限りでの現役引退を表明した。この2人はMF小野伸二とともに95年のU-17世界選手権(現U-17W杯)エクアドル大会にも出場。10代から海外の世界大会で経験を積み、稲本はイングランド、高原はドイツ、小野はオランダなど欧州の主要リーグでも活躍した。

左サイドからの切れ味鋭いドリブル突破で世界を驚かせたMF本山雅志は昨季限りで現役を引退。7月に鹿島のアカデミースカウト担当に就任することが発表され、11月19日に引退試合が開催される。鹿島時代の同僚で同じ「黄金世代」のMF中田浩二(現鹿島クラブリレーション・オフィサー)MF小笠原満男(現鹿島テクニカルアドバイザー)GK曽ケ端準(現鹿島ユースGKコーチ)たちも出場する予定になっている。

FW永井雄一郎は今年2月、埼玉県3部リーグのKONOSU CITY FOOTBALL CLUBの選手兼監督に就任している。

〈99年FIFAワールドユース選手権ナイジェリア大会準優勝メンバー〉

☆=現役、所属は当時、出場記録は国際Aマッチ

 1 GK 榎本達也(横浜)

 2 DF 手島和希(京都)0試合0得点

 3 DF 辻本茂輝(京都)

 4 DF 石川竜也(筑波大)

 5 DF 加地亮C大阪)64試合2得点

 6MF 稲本潤一G大阪)82試合5得点

 7 MF 酒井友之(市原)1試合0得点

 8 MF 小笠原満男(鹿島)55試合7得点

 9FW 高原直泰(磐田)57試合23得点

 10MF 本山雅志(鹿島)28試合0得点

 11MF 遠藤保仁(京都)152試合15得点

 12MF 中田浩二(鹿島)57試合2得点

 13MF 小野伸二(浦和)56試合6得点

14FW 永井雄一郎カールスルーエ)4試合1得点

15FW 高田保則(平塚)

16FW 播戸竜二G大阪)7試合2得点

17DF 氏家英行(大宮)

18GK 南雄太(柏)0試合0得点

※GK 曽ケ端準(鹿島)4試合0得点

※はバックアップメンバー(予備登録)

 

 

【札幌】「天才」小野伸二26年の選手人生に幕 セカンドキャリアに支障及ぼすほど肉体的に限界

[2023年9月27日19時50分]

 

 

J1北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二が背番号と同じ44歳の誕生日を迎えた27日、今季限りでの現役引退を発表した。自身のインスタグラムで表明し、クラブも正式に発表した。W杯は98年フランス大会に日本史上最年少の18歳272日で初出場。02年日韓大会、06年ドイツ大会の3度、大舞台に立った。世界が認めた天才が、プロサッカー選手生活26年目でピッチに別れを告げる。

   ◇   ◇   ◇

天才がピッチを去る。小野が現役引退を決断した。午後2時44分、自身のインスタグラムを投稿した。同3時のクラブからの発表より先に、自ら最初にファン・サポーターに報告したいという思いだった。「サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました」とつづった。添えられた写真には過去に所属した国内外全7クラブのユニホーム姿と「THANK YOU」の文字が並んだ。

今季J1で最年長のプロ26年目。慢性的に痛みを抱えていた足首や膝の状態が回復せず、もどかしいシーズンを過ごしていた。公式戦出場は天皇杯2試合のみ。初出場した6月7日の2回戦相模原戦では、ぶっつけ本番で臨み「ピッチってでかいんだな」と、感覚の変化を感じていた。

かつて「チームが契約してくれる限りサッカーをやり続けたい」と、現役へのこだわりを話していた。札幌では精神的支柱。本人が現役続行を希望すれば、まだユニホームを脱ぐことはなかったが、引き際を悟った。関係者によると、このままプレーを続けるとセカンドキャリアにも支障を及ぼす可能性があるほど、肉体的に限界という。ピリオドを打つ覚悟を決めた。

79年度生まれの「黄金世代」を代表する選手。輝かしいキャリアの一方で、ケガにも泣かされた。静岡・清水商高(現清水桜が丘高)から浦和入りした98年、日本史上最年少でのW杯デビューを果たした。99年ワールドユース(現U-20W杯)では準優勝に貢献した。サッカー人生を大きく狂わされたのは99年のシドニー五輪アジア1次予選フィリピン戦。相手のタックルで左膝内側側副靱帯(じんたい)を断裂し、以降故障が続いた。それでも01年にオランダ1部フェイエノールトに移籍し、日本人初の欧州タイトルとなる02年UEFAカップ制覇を経験。ブンデスリーガボーフムやオーストラリア1部ウエスタンシドニーでもプレーし、世界で才能を認められた。

織物のように柔らかく美しいパスはオランダ時代、「ベルベットパス」と評された。吸い付くようなトラップ、自在なボールタッチから繰り出される高精度のシュート。Jリーグに現れた元祖「天才」だった。独特なプレーでサッカーの魅力を体現し、多くの人々を引きつけた。ケガで試合出場の機会が減っても高い技術は健在。「まだシーズン残り数試合ありますが、僕も試合に少しでも関われるように変わらず良い準備をしていきます」と決意を示した。今季最終節12月3日ホーム浦和戦での現役ラストマッチまでに復帰を目指す。古巣相手にプロサッカー選手人生の幕を閉じ、新たな道へ歩を進める。【保坂果那】

○…小野は44歳の誕生日、札幌・宮の沢でランニングなど別メニューで調整した。チームメートや見学するサポーターからの祝福を受け、「今日朝すごいいい天気だったし、当たり前のようで当たり前じゃないこういう日を迎えられるのはすごく幸せ」と笑顔。足首や膝など回復せず、蹴っていても痛みを感じるという。それでも試合復帰に向けて前向きで「足の痛みは今もやっていてもあるけど、付き合いながらできれば」と話した。10月上旬の全体練習合流を目指している。

【札幌】「天才」小野伸二26年の選手人生に幕 セカンドキャリアに支障及ぼすほど肉体的に限界 - J1 : 日刊スポーツ

 

 

 

「とにかく悩まずに自然体でいたい」小野伸二が語る《ファッション》《家族》そして《引退》【天才MFのブレない生き方】

 

「とにかく悩まずに自然体でいたい」小野伸二が語る《ファッション》《家族》そして《引退》【天才MFのブレない生き方】<Number Web> photograph by Tomosuke Imai

NumberとASICSが共作したジャケットを着る小野伸二

涌井健策(Number編集部)
Kensaku Wakui

 

 NumberとASICSで共同プロジェクトを立ち上げ、企画・開発したアパレル<tokyo_edit>がリリースされた。日常でも、スポーツウェアでもアウトドアシーンでも身につけられる、快適さや着心地にこだわったセットアップだ。
 それを着用するモデルとして声をかけたうちの1人が、サッカー選手・小野伸二。43歳の天才MFはコンサドーレ札幌で現役としてプレーし、解説などでもサッカーの楽しさを伝えている。その軽やかでブレない姿が、NumberとASICSが思い描く「自由な生き方」と重なった。

 これまで「Number」では、18歳のデビュー以来、小野伸二のアスリートとしての側面を掘り下げてきた。だが今回、「ファッション」「東京という街」「人生観」など、サッカーから離れたテーマでインタビューすると、その言葉からは一貫した独自のスタイルが浮かんできた。

「この2、3年で東京で電車に乗るようになったんですよ。高校卒業して浦和に入ってからは、ずっと車での移動が多かったから、これまで地下鉄には乗ったことがなかった。娘と一緒に出かけるようになって、初めて大江戸線に乗ったら『深っ!』って(笑)。皆さんには当たり前かもしれないけど、マジでびっくりしました。小田急豪徳寺で乗り換えた時には、なぜか駅名が山下に変わったのにも驚いて、思わず動画撮ったりもしましたね」

 

 

 2人の娘に誘われて竹下通りを初めて歩けば人の多さに驚き、宮下パークのホテルに泊まって東京の変化に関心したりもした。プロ26年目のサッカー界のレジェンドとしてではなく、1人の父親として自然体で言葉が出てくる。

「若い時は、周りや他人にどう見られるかを気にしていたのですが、年齢を重ねて、もう自分がどう思われても気にしなくなりましたから、街も普通に歩くし、電車にも乗ります」

クラブは変わっても家族が待つのはTOKYO

 現在、シーズン中は札幌でひとり暮らし。これまでのプロ生活で、オランダ、ドイツ、オーストラリア、静岡、沖縄と在籍するクラブが変われば、暮らす場所も変わってきたが、家族の待つ自宅は常に東京にあった。

「だから、東京に帰ってくると癒される、というか。家族がいて、犬もいて。いつも1人なんで、東京で過ごす時間は、とても大切な時間です。もちろん1人の時間が多いからそう思っているだけかもしれません。これがずっと一緒にいたらどうなるか、と(笑)。妻や娘もそう思っていると思います。まぁ、でも1週間とか家族旅行に出かけても楽しいので、大丈夫なはずですけど」

 浦和レッズに在籍していた若いころと比べて、その東京という都市の印象は変わったか、と問うと「基本的には変わらない」という。

「東京って一言で行っても、場所によって全然雰囲気が違うじゃないですか。銀座、渋谷、六本木、三軒茶屋。それぞれの土地に色があって、土地の持っているエネルギーの種類が違う。その印象は変わりませんね」

 

 

 

 特に思い出に残っている場所は、表参道だという。

「プロに入って今の奥さん(モデルの千恵子さん)と出会った時は、彼女の当時の事務所が表参道にあったので、よく車で迎えに行きました。カフェやブランドのショップが連なっていて、その華やかで、煌びやかな景色はよく覚えています。ああ、東京だなって」

 撮影の間にも、ふと漏れてくる言葉の端々から家族の雰囲気の良さが伝わってきたが、Number1068号で小野伸二を特集をした際、長女・夏蓮さんと次女・里桜さんは、父親をこんな風に評してくれた。

 

 

 <夏蓮「明るくて面白くて、本当にかっこいいんですよ。努力している姿も、常に他人に気を配れるところもかっこいい。娘に荷物を持たせないし、私たちが車から降りる時には先に降りてドアを開けてくれるんです。そういう気遣いを、分け隔てなく誰にでもしてくれる」

里桜「家族旅行でハワイに行ったとき、パパがプールサイドに落ちてるゴミを拾ってたんですよ。それを見て本当に優しい人だなって。いつ見ても良い所しかない。それで最近、マジで小野伸二みたいな人と結婚したいなと思い始めたんです(笑)」>([娘が語る父の素顔]「小野伸二しか勝たん!」より)

キャップやパーカーは50以上持っている

 テレビで解説するときなどはスーツを着こなしている印象があるが、ファッションへのこだわりはあるのか。日本代表でともに戦った中田英寿などは、ハイブランドのアイテムを自分なりに着こなして空港などに登場して話題になっていた。

「自分は着飾るということは考えなくて、基本的にシンプルなものが多い。だって、マラドーナはファッションのこととか考えてないじゃないですか?(笑) 僕も夏はTシャツに短パンだし、冬はパーカーにデニム。それにキャップを組み合わせるだけです。とにかく着るもので悩みたくないんです」

 そうは言うものの、話を聞いていくと「シンプル」の中にもこだわりが垣間見える。シューズはどんな服にも合わせやすい白が中心で、キャップは2007年頃に出会って深さがしっくりきたブランドを愛用し、パーカーはジップアップが苦手で全てプルオーバー。キャップやパーカーは50以上持っているという。

「買い物をするときも、パッと見た時に自分のフィーリングとあえば買うし、合わなければ手に取らない。ブランドにも興味はないし……着替える時もそうですけど、とにかく悩まずに自然体でいたいんです。複雑にすると、よくわからなくなるじゃやないですか」

「小学生の頃から成長していないだけかもしれません」

 今回、企画・開発した<tokyo_edit>の上下セットアップを身につけての撮影でも、とにかく自然体だ。カメラを意識しすぎることなく、歩き、手を動かし、話をしてくれる。

「このジャケットとパンツ、シンプルでいいですよね。暑い中でもベタベタせずに、さらっとしている。それに、とにかく軽くて、着心地がいいから、椅子に座ってのデスクワークが多い人も楽だと思います。スポーツウェアという印象にとらわれずに、一度着てみて欲しいですね」

 そのプレーで多くのファンを魅了し、多くの人々の憧れであるのに、どうしてそこまで自然体でいられるのか。ヒントは考え方にありそうだ。

「悩みはありますか、と質問されることがあるんですが、ないんです。強いて言えば、そう聞かれて答えられないことが悩み、というか(笑)。若い頃から考え方があっさりしていて、『やるか、やらないか』だし、やってみて『成功するか、失敗するか』だな、と。複雑に考えないようにしています。小学生の頃から成長していないだけかもしれませんが」

 凡人は、将来に思いを馳せると、複数の選択肢の間で心が揺れたり、不安になったりする。だが日本サッカーが生んだ天才MFはそうではないらしい。

 

「先のことをあまり考えないんです。将来の目標って、小学生の時にマラドーナを見て『世界一のサッカー選手になろう』と決めてから変わってませんから。そのために今、何をやるか、どう頑張るか、だけですから」

 先日、高原直泰沖縄SV)が今季限りでの引退を表明した。1999年のワールドユースで準優勝した「黄金世代」でも現役選手はほんの一握りだけになってしまった。アスリート誰しもが直面する現役引退という決断についても、小野はシンプルに考えている。

家族に見放されても、1人で生きていく自信がある

「サッカーをいつやめるのかというのも、その時になってみないとわからないじゃないですか。だからあまり考えていません。そういう状況になった時に考えればいい。単純なんです」

 そして笑顔になって「引退しても自分は生きていけると思う」と続けた。

「僕はサッカー選手だから偉いという変なプライドはなくて、組織の中で働けるひとたちの方がすごいと思っています。これは謙遜とかお世辞ではなく、本当に自分が特別だと思っていないので。だから、例えば今お世話になっているマネジメント事務所で下働きをしても全然いい。それで収入が減って家族に見放されても、1人で生きていく自信があるんです」

 暮らす街への向き合い方も、ファッションのチョイスも、アスリートとしての考え方も、至ってシンプル。それが見るものに「変わらない」という印象を与える男の、芯にある哲学なのだろう。

 もうすぐ44歳になる小野伸二。稀代のフットボーラーは、自分のスタイルは変えず、今後もっと自由に生きていくのかもしれない。